再会、そしてレコーディング | 私と音楽と人生と

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音楽家 沼田”283”翼の私生活と音楽日記

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ずいぶん更新に時間が開いてしまいました、、、!

 

最近の行動はYouTubeInstagramが中心になってしまっており、、、!

 

 

今回、久しぶりにブログを書こうと思ったのは15年ぶりくらいの仲間とクリエイティブをしたから。

 

 

写真1番左側、覚えておられますでしょうか?

 

2007年から2010年ほどまで一緒にRabbit Riderとして共にしたJUNちゃんの新曲レコーディングに呼ばれて

レコーディングをしていました。

 

作品名義はRabbit Riderとしてではないけどスタジオミュージシャンとして6曲プレーしてきました!

 

思い出すのも懐かしいRabbit Rider時代

 

やはり1番印象に残っているのは2010年に出演した「宮古島ロックフェスティバル」ではないでしょうか

 

ケツメイシさんやFunky Monkey Babysさんら名だたるバンドさん達と共演させて頂き(ケツメイシのRyoさんとは打ち上げで家が近かった事が発覚して地元トークで盛り上がった笑)

 

今でも覚えているのは大トリの かりゆし58さんのステージで細美武さんがステージ脇に呼んで下さって

「この景色をよく見て、覚えておけよ」

 

と当時19歳だった僕に語りかけてくれたのは今でもとても心に秘めている

 

それと同時に、フェスへの前段階としてインディーズレーベルと契約してレコーディングするという案件もあった

「クローバーの旗印」をリリースする事になるんだけど

 

その時、やはり「事務所との契約」に関して右も左も解らなかったので中学からの先輩でもあるSEKAI NO OWARIの鍵盤奏者 saori先輩に電話してアドバイスして頂いたのもよく覚えている

 

今でこそ日本のポップス界になくてはならない存在のセカオワ先輩だが、思い出してみれば自分とsaori先輩は中学の時からの繋がりで(そもそもソフトテニス部の同期メンバーの姉である)

 

高校進学で悩んでいる時も音楽の先生に「saoriちゃんはピアノで芸高に行ったよ」とお話しして頂いて刺激を受けたのを覚えている

(結局自分はソフトテニス優先で高校では音楽系に行かなかったが)

 

しかし、その後 音大で再会して勢いに乗っていたセカオワ先輩達ともクラブアースで共演したが、その後先輩達は笑っちゃうくらいトントン拍子にスターダムを駆け上がって行った

 

話が逸れてしまったが、今回のレコーディングはJUNちゃんとプレーするのも15年ぶり(プレーというかクリエイティヴか)で

当然僕もアシスタント時代を経て様々な現場経験をしてきたからこそのアイデアや技術を得る事ができたなぁと振り返る。

 

ドリカムやリトグリさんのバンマスを務められてるサックス奏者の本間将人さんにセッションやセレクションに呼んで頂いたり、大黒摩季さんのバンマスをされている鍵盤奏者の柴田敏孝さんには色々なお店連れて行って頂いたりした兄貴分のような存在。

 

MISIAのベーシストされてるSOKUSAIさんや山下達郎さんなどレジェンドベーシストの岡沢章さんにも真摯に相談に乗って頂いたり、、、

 

ポンタ師匠のアシスタントをさせて頂いた事でとても偉大な方々と繋がり、経験を積ませて頂く事ができたからこその今の自分があると思えるレコーディングセッションでした!

 

過去の経験を顧みながら3日間に渡るレコーディング。

レコーディングの合間に撮ったバックステージツアーはコチラ

 

 

 

元々4曲の予定が急遽2曲増えて、しかも「楽譜は参考にしなくていいよ」とか鬼のような注文でしたが、それもJUNちゃんとの旧知の間柄こそ。

 

2007年最初にまだ自分の楽器も持ってなくて街のスタジオ借りてガイドラインも無しに脳内再生レコーディングしてた時に比べれば素晴らしい環境でプレーできるようになったもんだ

 

振り返ってみると随分遠い所に来たなと思う。

 

エゴの塊だった20代、「プロ」という言葉にしがみついていたが「プロ」という立場になった30代としては「ただの言葉でしかないな」と達観している自分もいる

 

これからも、人と音楽を大事にしていきたいですね!