急に思い立って書きます。
ちょうど一年前、認知症で施設に入所していた85歳の父が、4月下旬からご飯を食べなくなり、入院して点滴、退院して看取りケアに入りました。
仕事の合間にできる限り施設に行き面会。会話はできませんが、聞こえている様でした。
手を握り、感謝を伝えて、一方的に沢山お話ししました。スマホのビデオ通話で孫の顔を見せたり。笑。
朝から晩まで仕事で大忙しだった親父の背中を見ていた私は、いつかは俺も親父を超えるんだ!と思ってましたが、いまだに超える事はできません。
父は、鹿児島県は種子島から上京、会社を設立、世田谷区に小さいけど工場を作り、10人位のパートナーを使い、コンピューターの電源の製造業をしていました。
私も小さい頃、よくお手伝いしてハンダ付けとかしました。
親会社が遠くに移転する事で、廃業。その後タクシーの運転手を10年位していたと思います。とにかく働き物でした。
プールに行ったり、トレーニングして体も鍛えていました。しかし83歳の頃、アルツハイマー型認知症を発症してしまいます。いろいろできなくなる父を見るのは辛かったけど、これまでの偉大な尊敬する父の姿があるので、苦ではありませんでした。とても良いタイミングで施設に入所できて、運が良かったのです。
父を担当したケアマネージャーは、お父様はいつも何か強い力に守られていますね。それを強く感じますと。
徘徊しても、誰かに助けてられたり、怪我してもすり傷で済んだりと。
沢山の人を見ているベテランのケアマネさんが言うのです。競争率が高いであろう世田谷区の特養にすぐに入れたのも、その運なのかもしれません。
2024年5月27日に他界してしまいましたが、施設に入る前の約3年はその工場、実家によく寝泊まりしたので、リハパン交換したり、トイレとか大変でしたが、苦笑、今思えば貴重な親父との最後の時間でした。この一年、時間があれば、お墓参りにもよく行ってます。なんか、行きたいのです。
旅行に連れて行ったりとか、親孝行は少しもできませんでしたが、私や妹、その家族が元気で楽しく生きている事。それが最大の親孝行だと思って、残りの人生を楽しみます。
私自身も二人の子供に望むのは、元気で楽しく笑顔で生きて欲しい。ただそれだけです。
私もいつも何かに守られてる気がしています。子供にも恵まれて、とても運が良い人生を歩んでいます。
演奏活動できて、毎日が楽しいです。感謝です。
一年前を回想しました。
母親は群馬県の特養に入所して、もう3年目。要介護4で全介助ですが、毎日ご飯食べている様です。
演奏活動できるのも、介護施設の皆さんのおかげです。
感謝です。
よーし!
これからも、毎日を大切に楽しもう!
親父!ありがとう!